アトランタ五輪の日本代表は「勝ち点6」で決勝Tに進めなかった
サッカー日本五輪代表物語 #6
1996年アトランタ五輪のグループリーグ初戦の相手・ブラジル代表はCBアウダイール、MFリバウド、FWベベットといった実力者がオーバーエージ(OA)枠に顔を揃え、本気で金メダルを狙ってきた。
言うまでもなく「金メダル候補の最右翼」だった。
しかし、日本はGK川口能活がゴールマウスに立ち塞がり、鬼神のような形相で決定的なシュートをことごとくストップする。
後半27分、左サイドのDF路木龍次のハイクロスにFW城彰二が走り込むと、飛び出したGKジーダと城を追い掛けていたアウダイールが激突。 ゴール前にこぼれたボールを走り込んだMF伊東輝悦が、フリーの状態で押し込んだ。
これがジャイアント・キリングの決勝点となった。今なお語り継がれる〈マイアミの奇跡〉である。
余談だがーー。
筆者は当時、サッカー専門誌の編集長を務めていた。五輪は雑協(日本雑誌協会)による共同取材というスタイルだった。
カメラマンは自社から派遣。撮影した写真は全雑協加盟社でシェアするというルールだった。