<3>「裸足のアベベ」に特注靴を作るため採寸 足の裏を触ったら…
今の陸上長距離界は厚底シューズが大人気だが、1960年ローマ五輪のマラソンを制したのは裸足のアベベ・ビキラ(エチオピア)だった。
アベベは64年の東京五輪はプーマの靴で連覇を達成。2位のベイジル・ヒートリー(英国)、3位円谷幸吉のシューズはオニツカの「マラップ」だった。もしかしたら、アベベもオニツカの靴で2つ目の金メダルを手にしていたかもしれない。
■商売にならんぞ
ローマでアベベの快走を現地で見た鬼塚喜八郎(アシックス前身のオニツカ創業者)社長は帰国するなり、社員の前でこう言った。
「アベベの優勝に感動した。裸足なのにゴツゴツした古い石畳の上もスイスイだったが、彼が裸足で連勝したら靴屋は商売にならん。何とかわが社の靴をアベベに履かせたい」
社長の話が終わるやいなや、「ならば私がアベベに」と心に誓ったものだ。
幸運にもローマ五輪の翌年、アベベは毎日マラソン(後のびわ湖毎日)の招待選手として来日することになった。主催は毎日新聞社。同社運動部には村社講平先生(36年ベルリン五輪5000、1万メートル代表)がいた。鬼塚社長に「村社さんを頼ってみろ」と言われ、アベベ訪問の仲介をお願いし、了承を得た。エチオピアチームの宿舎である大阪グランドホテルに出向き、最新モデルのシューズを見せながらレースで使ってもらえるよう丁寧に説明した。
「素足と同じくらい、軽いシューズを作りますよ」
私の話は毎日新聞の記者が通訳してくれた。シューズを手にしたアベベはしばらくすると「履いてもいい」という。
私はメジャーを取り出し、足の採寸を始めた。
「裸足で42キロも走るアベベの足の裏はどれほど分厚く、硬いのだろう?」
興味津々触ってみると、とても柔らかく、足の裏は白かった。アベベの足形にマッチしたシューズを2日後に届けることを約束。製作スタッフが待つ神戸へ急いで引き返した。
完成したシューズを持って、今度は鬼塚社長とホテルに行った。笑顔で迎えてくれたアベベにシューズを渡し、鬼塚社長は聞いた。
「ローマオリンピックの走りを目の前で見ました。なぜあなたは、あの硬い石畳のコースを裸足で走ったのですか。ケガをすることは頭になかったのですか」
アベベは言った。
「私はエチオピアの山で鍛えているので足にも脚力にも自信があります。誰も知らないエチオピアという国を世界の人に知ってもらうには、強く印象が残る優勝が必要でした」
疑問が解けた鬼塚社長は、アベベの足の裏を丁寧に触り、「それにしても、柔らかい筋肉をしている」と驚いていた。アベベはそのシューズで毎日マラソンに出場。2時間29分27秒で優勝。鬼塚社長の夢はかなった。
前述した通り、アベベはそれから3年後の東京五輪ではプーマ社の靴を履いていた。当時の日本にはアマチュア規定があり、わが社には選手と契約を結ぶという発想さえなく、プーマの契約選手になっていた。