ボクシング元世界王者・西岡利晃さん 引退後の意外なジム経営「楽しくがモットー」の理由
西岡利晃さん(ボクシング元世界王者)
別名「スピードキング」「モンスターレフト」。7度目の世界王座防衛戦は2011年10月、米・ラスベガスのボクシングの聖地「MGMグランドホテル&カジノ」で開催。日本人初のメインイベンターとなり見事、防衛に成功した。まさにレジェンドともいえるスーパーファイターだった。引退は12年11月。現在の仕事場を訪ねた。
兵庫県西宮市、国道2号沿いの6階建てマンションの2階。西岡さんが「西岡利晃ジム」をオープンしたのは13年9月18日。新型コロナを乗り越え、丸8年経った。
「コンセプトが『老若男女を問わず、フィットネス感覚で誰でも楽しめるボクシングジム』なので、入会には運動経験や体力の有無は問いません。メンバーさんの目的や体力に合わせてサポートさせていただきます。当ジムは“楽しく”がモットー。ストレス発散、生活習慣病の予防やダイエット目的の方が95%なんですよ」
■「プロを目指すだけがボクシングではないと思う」
会員は、小学生から70代まで約200人。最寄り駅は徒歩2分弱の阪急「阪神国道」駅、JR西宮駅からも8分前後のため、地元・西宮だけでなく大阪や神戸、奈良、京都からも駆けつける。男女比は7:3だ。
「ほかに特徴といえば、プロボクサーを育てるつもりはないので、あえてJBC(日本ボクシングコミッション)には未加盟なんです」
え? 7度もの世界戦防衛記録を持ち、WBC(世界ボクシング評議会)から日本人初の名誉王者に認定されるなど、パンチ力だけでなく、技巧派としても高評価を得ているのに、なぜ?
「プロを目指すだけがボクシングではないと思ってるんです。当ジムは希望者以外はスパーリングは行わず、健康にいいトレーニングのみ行います。ミット打ちは非常に楽しく、ダイエットとストレス発散もできて健康増進になる、いいことずくめですよ」
ジム経営は順調だったが、新型コロナ禍で大きな逆風が吹いた。
「1回目の緊急事態宣言の時は、ココも完全休業しました。しかしその後は検温・手消毒・換気・不織布マスク着用と徹底した感染対策を行いながら営業しました。メンバーさんからは、これなら安心して来られる、と言っていただいています」
「ドン底の時に支えてくれた妻に感謝」
さて、兵庫県加古川市生まれの西岡さんは、11歳の時に父の勧めで地元のJM加古川ジムに入門。メキメキと頭角を現した。
周囲の期待は大きく、高校3年のデビュー戦を勝利で飾った。
だが、順風満帆とはいかず、日本バンタム級王座を奪取したのはデビューから丸4年経った98年12月の19戦目。2度防衛後、2000年6月に辰吉丈一郎を2度KOしたWBC世界バンタム級王者ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)に挑んだものの判定負け。その後、帝拳ジムに移籍し、ウィラポンと再戦するも3者3様のドロー。次こそは勝てる! と猛練習を行ったところ、スパーリング中にアキレス腱断裂。その後、2度の世界挑戦もドロー・判定負け……。
「世界挑戦に4度失敗し、ドン底の時に結婚したのが美帆なんです。精神的にも肉体的にも一番しんどい時に支えてくれ、そしてチャンピオンベルトを巻けたんですから、ホンマ、いくら感謝しても足りませんね」
多大な内助の功もあり、4年半ぶり5度目の世界挑戦は08年9月。ナパーポン・ギャットティサックチョークチャイ(タイ)とWBC世界スーパーバンタム級暫定王座決定戦で激突し、3-0で判定勝利。39戦目にして世界王座に輝いた。
以降、絶対王者として11年10月まで7度防衛。MGMグランドで挑戦者のラファエル・マルケス(メキシコ)を判定ではね返し、日本人初の名誉王者に認定された。
最後の試合は12年8月15日。世界4階級制覇王者でIBF・WBO世界スーパーバンタム級統一王者だったノニト・ドネア(フィリピン)との王座統一戦。残念ながら9回TKO負けだったが、ボクシング史に大きな足跡を残した。
西岡さんといえば、勝利者インタビューの時に愛娘の小姫ちゃんから頬にキスをしてもらうのがお約束だった。
「もう高校生ですよ。書道8段、ピアノが趣味です。キス? もう4年ほどしてもらってないなあ(笑い)」
お嬢さんの話になると目尻が下がった。
(取材・文=高鍬真之)