「相撲が正しい方へ行かないんだ」北の湖の不満も押し切った栃若の“おま言う”改革
「栃若」の強引な改革
令和の今は、納得しないと人は動かないといわれる。指導者には説得力が求められるが、「おま言う」と反発されることを恐れるばかりでは、変えられないこともある。自分たちの現役時代を「棚上げ」した「栃若」の強引な改革は、現に今日へと続いてきた。
伊勢ケ浜部屋で横綱照ノ富士を部屋頭に次々と関取が育つのは、稽古が厳しいからだといわれる。師匠の元横綱旭富士は現役時代、稽古嫌いのレッテルを貼られていた。
稽古嫌いが稽古をさせるのも「棚上げ」だが、20年近く前、親方が「今の力士はいいよ。一生懸命稽古するだけで、誰でも十両にはなれるんだもん」と言うのを聞いてうなずいたものだ。
旭富士も幕内に上がる頃は、師匠の大島親方(元大関旭国)が止めるまで稽古していた。見ていた記者はわずかだと思う。やがて内臓疾患などで番数は減ったが、他人の稽古を見て学ぶ「見取り稽古」の天才だったし、まだ少数派だったジム通いもしていた。
伊勢ケ浜部屋の関取衆に、旭富士の猛稽古の話をしたことがある。みんな半信半疑の中で一人、真剣な目で聞いていたのが安馬、のちの横綱日馬富士だった。
▽若林哲治(わかばやし・てつじ)1959年生まれ。時事通信社で主に大相撲を担当。2008年から時事ドットコムでコラム「土俵百景」を連載中。