広岡達朗GMが「休日を召し上げ」バレンタイン監督は激怒した…95年、内紛勃発の内幕
2人とも対立を隠さなかったため、マスコミの格好の餌食となった。ロッテファンはボビーを支持。バレンタイン監督解任の噂が新聞などで取り沙汰されると、「広岡辞めろ」などの横断幕を掲げるようになった。ロッテは前年の5位から2位でシーズンを終了。万年Bクラスだったこれまでと比べ、明らかにチームは変わった。2位に入ったことでボビーは続投すると思った。ファンもそうだったはずだが、広岡GMは「監督の采配ミスで15勝は逃した。優勝を狙えたのに残念」とコメントし、ボビーの手腕が足りなかったことを強調。
複数のコーチが広岡GMに「選手が不振に陥っても、バレンタイン監督は疲労が原因と言って休ませるばかり。コーチの仕事がない。この体制が続くなら辞めたい」と直訴したそうだ。最終的に重光武雄オーナーが裁定を下し、ボビーはわずか1年で解任となった。
チーム内はなんとなく監督派とGM派に分かれたが、私はボビーのもとで打点王が取れたし、広岡GMには野球を教わった。「2人には感謝している」としか言いようがなく、この争いには興味がなかったというのが正直なところだ。
結局、広岡GMも翌年辞任することになり、日本初のGM制は2年で終了となった。ロッテは万年Bクラスのチームに逆戻り。再びAクラスに入るのは、チームから強い要請を受けたボビーが監督に復帰した翌年、私が引退する2005年の日本一まで待つことになる。