プロ初参戦の国際大会は試合直前のバスでビデオを見せられ…対策も何もあったもんじゃなかった
野球の国際大会は、長らくアマチュアの大会だった。キューバが最強の座に君臨できたのも、米国、ドミニカ共和国、日本、韓国、台湾といった野球強豪国がアマチュア選手だけだったことが大きい。そんなルールが1998年を境に大きく変化した。
国際野球連盟はIOCからの五輪へのプロ選手参加要請を受けて、98年に国際大会へのプロの出場を解禁。アマチュア選手だけで臨んだその年のアジア大会で、日本はオールプロの韓国に大敗していた。危機感を持った全日本アマチュア野球連盟は、シドニー五輪の予選を兼ねた99年9月のアジア選手権ソウル大会に、プロ選手の派遣をNPBに要請。日本もプロ選手が国際大会の舞台に立つことが決まった。最初の8人のプロメンバーに、私が含まれていたのだ。
■代表選出は光栄に感じながらも複雑な思いがあった
ただ、アジア予選はペナントレース終盤を迎えたシーズン中の9月。もちろん「光栄」と感じながらも、私は社会人の東芝府中出身でもあるため、「五輪はアマチュアの大会」という複雑な思いもあった。