パイロットがつづった 書店で買える空想の空旅エッセー
「グッド・フライト、グッド・ナイト」マーク・ヴァンホーナッカー著 岡本由香子訳
イギリスの航空会社、ブリティッシュ・エアウェイズのパイロットが空の旅の素晴らしさについて語ったエッセーである。空が彼の文体を作るのか、文体が彼に空を飛ばせたのか、美しい文章は、彼の操縦するボーイング747の周りを流れていく空と白い雲を連想させる。
空から森や道路や、住宅地、学校、川を見下ろすと、平凡な日常が、いつもとちがう美しさを帯びて、つながっていると著者は語る。そして、世界を飛び回る彼は、数日のうちに、さまざまな場所へと移動するが、そのことに慣れることのない感性を持っていたいという。
「赤い大地に立ったこと、数日のうちに世界の別の大地に立つこと。ふと気づくと、アフリカの土を、休日の午後に家でひとり、スニーカーの底から落としていること。みずみずしい心を保っていれば、そのどれもが小さな奇跡なのだとわかる」
また例えば、空特有の、道しるべについて彼はこう表現する。
「空を飛んでいると世界中に打たれた句読点またはアスタリスクを発見して愉快な気持ちになる」
句読点というのはナブエイドのことで、電波を発する標識のことだ。パイロットはナブエイドと“ウェイポイント”をつないだルートに沿って飛行するという。
ウェイポイントは経路上の位置情報で、一般的にアルファベット5文字の組み合わせで表される。このウェイポイントにはインド洋から西オーストラリアまで何百マイルも連なるポイントがあり、北からつなげて読むと「ワルツィング・マチルダ」の出だし部分になるそうだ。いったい誰が名付けたのだろう。次の空旅では、オーストラリア民謡のメロディーが頭の中で鳴り響くことだろう。
本書は書店で買える、空想の空旅のチケットだ。一行ごとに、空に心をもっていかれ、飛行機に乗って旅しているときの、多幸感がよみがえる。夜寝る前にベッドの中で読むには最高の一冊だ。(早川書房 1800円+税)