「アジア発酵紀行」小倉ヒラク著
「アジア発酵紀行」小倉ヒラク著
一緒に旅をする機会を得ると、専門家ってすばらしいとしみじみ思う。サッカーライターの友人と南米を歩けば、わたしにはただの落書きにしか見えない壁の絵が地元サッカーチームのエンブレムだと知れる。語学の先生とモロッコの茶屋でミントティーを頼めば、茶屋の兄弟が話しているのがアラビア語かダリジャ(モロッコ方言アラビア語)かベルベル語か瞬時にわかる。建築家と東北をドライブしたとき、彼女は「あ、あのお寺ちょっと見ていい?」と古くておもしろい建物を見逃さないのである。
どんなジャンルであれ専門家になるのは大変だ。でもそうなれたら、世界の見え方は俄然豊かになる。なんの専門分野ももたないわたしは、ただただ憧れるばかり。
本書は「専門家が旅をする」深さと楽しさに満ちている。著者の肩書は「発酵デザイナー」。大学卒業後デザイナーになり、そのあと発酵食品に目覚めて東京農大に入り直した変わり種だ。微生物のプロジェクトや発酵食品の専門店を手がける経歴からユニークさがにおい立つ。
そんな彼が訪ねる場所は、中国奥地の少数民族の村とか、民族紛争が勃発した戒厳令下のインド最果ての街とか、めちゃくちゃディープ。そのうえ専門家の目と舌と胃袋で旅をするのだから、紀行文のおもしろさは他の追随を許さない独走状態だ。時折さしはさまれる「酒の醸造法をおさらいしよう」「プーアル茶とは何かやや詳しく説明する」といった講義っぽい部分がまた楽しい。専門家がすばらしいのは、専門分野を愛しているからだ。その愛が世界の解像度を上げる。
(文藝春秋 1760円)