「ゆれるおっぱい、ふくらむおっぱい 乳房の図像と記憶」武田雅哉編
世の男性にとって、それは母を思い出す郷愁の大地であるとともに、尽きることのない魅力を放つ未知の双丘である。おっぱい、ちぶさ、ちち、バスト……、かつてはボインやナインなどと呼ばれたこともあった女性たちのあの部位のことだ。さまざまな呼称を持つのは、それへの思い入れも各人各様だからであろう。
本書は、この不思議な存在「おっぱい」を人々はどのように感じ、どのように表現してきたのかを各分野の研究者がそれぞれの立場から論じたエッセー集。
巻頭では、日本中世文学を専門とする田中貴子氏が「日本の乳房はいかに語られたか」と題し、日本の古典文学に見える乳房観を考察する。
田中氏は、日本において初めて女性の胸部のサイズに言及したと思われる「万葉集」の高橋虫麻呂の戯れ歌や、「源氏物語」の「横笛」の巻で夕霧の妻が夜泣きした子供に乳房を含ませてあやす場面などを紹介しながら、現在では性愛の対象という側面が大きい「乳」という語は、近代以前の文学ではもっぱら授乳器官を意味するものとして使用されているという。
「性的器官としての乳房に関心を持たなかった」日本人は、近代になって西欧絵画のヌードなどの影響を受けて乳房を「発見」したことになっている。
しかし、平安時代の「とりかへばや」や「落窪物語」などには、乳房が性愛行動の対象であったり、女性にとっても乳房が男性の性的視線の対象であると意識されていたと読める描写があるという。
あの春画の世界でも女性の乳房は、性の対象として見られていないというのが世の定説だそうだが、田中氏によると、乳房の隆起そのものを揉みしだくという行為は描かれていないものの、数は少ないが乳首を吸ったり、いじったりする姿は描かれているという。
春画における「乳首を吸う男」は「乳を飲む赤ん坊のまね」であり、乳房をめぐるフェティシズムの端的な表出だったのではないかとも。
江戸の時代にも「おっぱい星人」がいたことに少々安堵する。同時に、昔のヒット曲の「ボインは赤ちゃんが吸うためにあるんやで~、お父ちゃんのもんとちがうのんやで~」という名文句が思い出される。
一方、洋装の出現によってブラジャーをすることをきっかけに女性たちの身体意識が変わったという戦後の女性自身によるバスト観の変遷を論じた実川元子氏によると、1950年代、当時発売されたばかりの日本製ブラジャーやコルセットなどの下着を百貨店の売り場に買いに来るのは夫の役目だったそうで、隔世の感を覚える。
その他、編者でもある武田氏による中国文学における乳房の描写や、古代には豊穣のシンボルであった乳房が、中世キリスト教美術では「罪を犯した器官」として拷問にさらされていた事実を絵画や教会のレリーフから解き明かす尾形希和子氏の論考などに加え、おっぱい寺と呼ばれる愛知県の「間々観音」などの名所訪問記など。図版も豊富に添付され、全巻おっぱい尽くしの奇書。
(岩波書店 2800円+税)