ヤクルト1本を4人で分け合い 宇都宮まきの“極貧”実家秘話
そうそう。小学校の時はチャボの飼育係を3年してたんです。理由は産んだ卵を持ち帰れたから(笑い)。ホンマは動物が苦手やった。でも、つつかれたら痛い、言うてる場合ちゃいますわ。タダで産みたての卵がもらえるんやから、そんなおいしい話はないです。時々、エサのパンの耳も持ち帰ったりね(笑い)。
そんな貧乏な中でも誕生日は楽しみでした。1年のうちで数少ないケーキが食べられる日やったんで。ただし、生まれたのは12月26日なんで、クリスマスの残り物を買うんです。1日違うだけで半額とか、それ以下でしょ? 味は変わらへんから狙い目も狙い目。よくぞこの日に生まれた! って感じ(笑い)。
高校入学後、テレビの仕事をするようになったのも、実は不純な動機やったんです。お弁当が出て、番組で残ったものは持ち帰ってもいいってことを知ったから。チヤホヤされたいとか、有名人に会えるかもって理由ちゃうんです。とにかく弁当とお土産。それが一番(笑い)。
やっぱりね、「お母さんに持って帰ったら喜んでくれるやろな」って笑顔を想像すると、それだけでうれしかった。どんなに貧乏でも悲観的にならず、ええように考えてた方がいい。何でも気持ち次第やと思うんです。
貧乏やったから、お金をかけずに工夫することが身についたし、私、サバイバル生活とかしたら絶対に生き延びる自信ありますもん(笑い)。