常連の坂本龍一さんは音大女子学生のリポート代筆で大人気
1971年に東京・京王線の千歳烏山駅近くに50~60枚ほどのレコードを頼りに7坪の小さなジャズスナックを開いた。
ジャズの名前につられて多くの若者がやって来た。店に4チャンネルのスピーカーを入れたとはいえ、ジャズ喫茶とは名ばかりの貧相さに同情してくれ、手持ちのレコードを持ち寄ってくれた。
その中にロックやフォークのレコードもまじっていた。彼らからロックやフォークの音楽を教わることになった。一番最初にぶっ飛んだのは、ピンク・フロイドの「原子心母」、エマーソン・レイク&パーマーの「展覧会の絵」だった。
「ロックって面白い!」「本当にすごい!」と心の底から思った。さらに若き友人たちは浅川マキや三上寛、友部正人や高田渡といった日本のフォークを聞かせてくれた。
70年代に入り、日本のロックに大革命が起きようとしていた。それまで日本のロックは、大御所の内田裕也さんの「我々のロックは英語で歌わねばならない。なぜなら我々は世界を目指しているからだ」という言葉に縛られていた。ロックを愛する演奏家たちは、コピーに甘んじていたのだ。