毒蝮三太夫さん ごちそうだったのは料理下手母の精進揚げ
面倒見のいい人だった
ウチのカミさんが今でも言うことがあるの。初めてウチに連れていった時のこと。弁当を食べないでテレビ局から持ってくるじゃない。おふくろは前の日から冷蔵庫に入れておく。その冷たくて硬くなっちゃったのを出されて驚いたって。食べたかって? そりゃ食べないよ。弁当に魚料理が入っていると魚がご飯にくっつくし色がつく、たくあんや紅ショウガがのっていると赤や黄色になっちゃうのも嫌だったな。それぐらい料理はダメだったね。
たぬきババアと言っていたのはおやじなんだけどね。おふくろは明治31年生まれ。4つ年上の姉さん女房で、子供が2人できて、関東大震災の後に大阪に行ったら前の旦那が死んじゃって。神奈川から大阪に来て大工をやっていたおやじがおふくろと会って、子供2人を抱えて大変だから、面倒を見てやろうってことだろ。でも、兄貴たちは変な男が来るなと思ったらしいよ。本当に熊がいるのかと思ったって(笑い)。
おふくろは芝生まれの神田育ちで体が弱くて年中、家で寝ていた。結核をやったから肺が悪かった。でも、ヘビースモーカーだから、火鉢に落ちてる吸い殻にようじを刺して吸ってた。
おやじが病院に連れ込んだことがあるの。くたばんねえかなって。ところが、病院から電話がかかってきて「退院させてください」って。おやじは「あの病院、本気で治しやがった」って怒ってたねえ(笑い)。
でも、おふくろは面倒見がいい人でね。ウチに人がいないことはなかった。日蓮宗を信心していてお経を読むのがうまくてね。昔は葬式を自分チでやったじゃない。おふくろは普段着で通りかかった知らないウチに入って行って、お経を上げちゃうの(笑い)。
そんなおふくろもおやじも俺が大学に入る時も芸能界に入る時も一言も反対しないで、自由奔放に育ててくれた。おふくろはウソつきは泥棒の始まり、えんま様に舌を抜かれるよ。そして人のためになるんだよ……そんなことばかり言ってたなあ。2人ともそそっかしいけど、生きたいように生きて、楽しかったんじゃないの。
まずいものを食うとおふくろを思い出します(笑い)。今でも好きで食べるのは精進揚げ。エビなんかじゃなくて野菜でいいの。タマネギ1個でもものすごく作れるし、あんな安いもんはないな。
■材料のサツマイモ、タマネギ、ピーマン、ニンジンなど好みの野菜に衣をつけて油で揚げる。
◆10月8日発売「たぬきババアとゴリおやじ 俺とおやじとおふくろの昭和物語」(1300円+税 学研プラス)