大原がおりさん 死ぬまでレースクイーン続けギネス挑戦を
大原がおりさん(タレント・44歳)
1990年代後半にミニスカポリスとして大ブレークしたバラドルの先駆けの大原がおり(旧芸名=大原かおり)さん(44)。11月末にツインリンクもてぎで開催されたGR86/BRZ Raceで、44歳にして初めてOwltech Ladyとしてレースクイーン・デビューを果たし話題になった。死ぬまでにやりたいことは……。
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デビューしてすぐグラビアとバラエティーの仕事が決まり、ずっと続けられたので、レースクイーンは1度も経験しないままでした。レースクイーンはカッコいいとずっと思っていて何年も前から、「レースクイーンをやりたい!」と周りに言い続けてましたね。
それと「グラビアに復帰したい」とも話していたのですが、ここ数年グラビアを見ていると昔よりもどんどん過激になって……。それに加えて私のようなアラフォー枠だとさらに激しい露出が求められてしまって。「写真集を出したい」と言うと編集の方は「どこまで脱げますか」と(笑い)。グラビアはもう私の求めるものではないのかな……と思い、もう1つの夢であるレースクイーンを目指そうと決めました。
6年前、知人のトップレーサー、脇阪寿一選手に相談した時には「レースクイーンに年齢は関係ないよ。本気度とモータースポーツを愛する気持ち、ファンの方への対応、スポンサーさんへの感謝の気持ちと愛情が大切だと思うよ」と返答をいただきました。
時を経て今年の2月ごろに改めて「レースクイーンをやりたい!」という気持ちを脇阪選手に伝えました。新型コロナでレース自体が中止になった時もありましたが、秋にレースが再開したことを知り、私のユーチューブの撮影中に脇阪選手に突撃電話をして再度「レースクイーンになりたいです」アピール。「本気じゃないやろ?」と信じてもらえなかったですが、本気度を真剣に伝えたら「じゃ聞いてみるよ」と。
■決まった時には「これドッキリでしょ?」と
それからはレースクイーンをやる日に向けてジムで猛トレーニング。まだ決まってもいないのに(笑い)。ある日、私のユーチューブのMCのふじさんが私が通っているジムにいきなり現れ「大原さんがちゃんとトレーニングしてるか確かめに来ました!」と、撮影が始まったのです。直後に何の前ぶれもなく脇阪さんが現れ「レースクイーンに決まったよ!」と。
私は「え? これドッキリでしょ?」と思ったのですが、現実でした。脇阪選手が自身のレースチームのスポンサー「Owltech(オウルテック)」さんに相談し、レースクイーンになれるよう尽力してくれたんです。それから11月末のレースまでの約1カ月、機会をつくってくださった皆さまに感謝しながら全力でトレーニングをしましたよ!
同じ事務所で元レースクイーンの藤木由貴ちゃんには「自分を見せるグラビアとは違ってレースクイーンは胸元や足元に書かれてるスポンサーさんの名前を見てもらうことが大事」と教わりました。他にも「傘の差し方は肩にかけてしまうと後ろの車や背景が隠れてしまい、スポンサーさんの名前が見えづらくなってしまうので垂直に差すのがオススメです」とか。