大原がおりが語る 水着選びに苦労したミニスカポリス時代
元祖Hカップとして90年代に活躍したグラドルの大原がおりさん(42)。数年前にグラビアに復帰して週刊誌などを騒がせたが、大切にしている水着写真をもとに当時を語ってもらった。
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写真は初めての写真集の海外撮影の一枚で、1997年のものです。21歳でした。同期のグラビアアイドルのデビューはだいたい15~16歳で、周りがみんな若かったので、私が出られる雑誌は少なかったんです。でも、写真集の発売とともに「出動!ミニスカポリス」(テレビ東京系)の3代目としてレギュラーが決まり、その後も「ギルガメッシュないと」(同)、「大爆笑問題」(同)とレギュラーが増えました。番組収録とグラビア撮影の忙しい毎日でしたが、どちらも衣装は胸の開いた服か水着でした。
衣装ではいつも困りました。今でこそ「エロカワ」が一般的になって胸の谷間が開いてる服を街行く女の子も着てるけど、当時はエロカワ服があまりなかったので、背中がチャックになっているワンピースを前後ろ逆向きに着て、チャックを途中まで下ろして胸元を見せたりと工夫してました。
水着は、日本にHカップのサイズは売ってなかったので、スタイリストさんが用意してくれる水着はたいてい小さかったです。本番中にポロリしたことはないですけど、毎回ギリギリだったりしました(笑い)。
しかも、私はお尻が小さいのに胸が大きくてHカップもあるから。上下セットで売っている水着は、胸のサイズに合わせると下がブカブカで、下に合わせると上が小さくて納まらない。スタイリストさんに「あなたの体、おかしいよ!」と怒られたこともありました。水着は、仕事で海外に行った時に大きいサイズをまとめ買いしてました。