「100人が選ぶ松竹映画」で圧巻 なぜ山田洋次作品に集中?
松竹は今年、映画製作100周年を迎えた。創業は1895年だが、20世紀になって盛んになり始めた映画製作事業への本格的な参画を目指したのがちょうど100年前の1920年であった。それを記念して、同社は100人が選ぶ「私の好きな松竹映画」を特設サイト上で掲載した。監督や俳優、映画関係者らが参加した。これがなかなかに興味深く、驚いたことがひとつある。監督別でもっとも作品が多かったのが、山田洋次監督だったことだ。松竹映画の歴史を築いた小津安二郎監督や木下惠介監督らを圧倒し、作品が多岐にわたっていたことにも目を見張った。
「男はつらいよ」シリーズはじめ、「故郷」、「幸福の黄色いハンカチ」、「キネマの天地」、「息子」、「学校」から「たそがれ清兵衛」「小さいおうち」などがざっと並び、公開時期がひとつの年代に固まっていない。「男はつらいよ」シリーズも第1作目が人気だったのは当然として他の作品も何本も入っていた。初期作品で知名度の低いコミカルな「馬鹿が戦車でやって来る」が挙がっていたのには、その前に監督した「馬鹿まるだし」のほうがいいのにと思いつつ、正直嬉しくもあった。
■「現役」で活躍し続けることへのリスペクト
なぜ、ここまで山田作品が集中したのか。現役であることが非常に大きい気がした。多くの人がリスペクトの意味を込めたのではないか。それは長い年月、松竹映画の中核を担っていることにもつながるだろう。いまや松竹映画=山田洋次といっていいくらい、とてつもない貢献度を誇る。とともに、監督の作風はいまの時代の空気感や人々の精神的、感情的な心の持ちようと深く結びついているようにも感じた。
東日本大震災以降、はひとつキーワードになるかもしれない。その頃、絆、家族、仲間といったフレーズが大きく取り沙汰され、人と人とのつながりの大切さがとても切実に感じられる時代に突入した。山田監督の作品は絶妙な笑いを織り込みながらその意味を非常に長いスパンで問い続けてきたことに大きな特徴がある。コロナ禍のいまも、普通の日常のとてつもなさに気づいた多くの人々の心に強く響いているに違いない。
興味深いのはほかにもある。山田作品への共感は別の側面も浮き彫りにしたといえる。1960年代に一時代を築いた大島渚、吉田喜重、篠田正浩監督ら松竹ヌーベルバーグ派の作品を挙げた人が少なかったことである。彼らは庶民感覚を貫いてきた従来の松竹映画に対し、果敢な異議申し立てを鮮明にした。当時の庶民感覚は、いささか保守的な意味を含んでいたと推察する。学生運動が先鋭化していた時代だ。その作品群は、社会状況に対する若者たちの怒りを反映し、変革への意思を強烈にアピールした。もちろん大島、吉田、篠田監督3人は松竹時代に様々な題材にアプローチしている。だが、それら野心的な作品も挙げる人は多くなかった。
いまの時代風潮が、政治的、革新的、前衛的にも見えた作風を出発点に持つ彼らの作品と少し距離を置こうとしているのかもしれない。より娯楽的な明快さを持ち、もっと強烈に人肌やぬくもりを感じさせる作品への思いが強くなっているのではないか。人々と直接的に具体性を持って寄り添っていこうとする作品への志向性である。
映画は時代を映す鏡
映画が時代を映す鏡とはよくいわれる。その鏡の写り具合が、今回の山田作品の多さに象徴的に現れていると思う。60年代、70年代の息吹きが残る80年代や90年代に本企画がなされていたら、ヌーベルバーグ派の作品はもっと入っていたことだろう。時代によって、映画の評価軸、好みのあり方は変わっていくのである。もちろん、今後も変わっていくであろう。
筆者も今回の「私の好きな松竹映画」を選ばせてもらった。木下惠介監督の「女」(1948年、主演・水戸光子)だ。別に奇をてらったわけではない。この作品を初めて見たとき「凄い」と感じ、「二十四の瞳」や「永遠の人」などが有名な巨匠・木下監督の底の深さに驚嘆したからだ。「戦争と庶民」を描いてここまで斬新な話の展開、撮影手法を持つ作品もそうそうない。庶民の一人である女が言い寄る男からいかに逃げるか。男女の対峙関係が見事なサスペンス劇となり、そこには明確に「戦争と庶民」という構図があって、みなぎる戦争への怒りの凄まじさに驚嘆したのである。
木下監督は松竹映画新骨頂の庶民を描く伝統を引き継ぎつつ、それを覆そうとした人ではなかったか。大雑把にくくってみれば、松竹映画は伝統(庶民映画の大船調)とその破壊(ヌーベルバーグ波の諸作品)をめぐる映画史そのものであり、その両輪の中で創作を続けたのが、木下監督であった気がしてならない。