PANTA 18歳で「アイドルにはならない」とホリプロを辞めた
「頭脳警察は生まれていなかったでしょう。事務所の<アイドルとして売らんがための>方針と合わず、一度だけ上野のジャズ喫茶みたいなところでライブをやっただけで『冗談じゃない! 事務所の操り人形にはならない!』という意識で3カ月ほどで辞めて以来、ピーナッツバターを封印してきましたが、10代に書いた曲が見つかり、それを<幻のGSバンド>として出してみようと思ったのです。古希も過ぎたし、これまで背負っていた<鎧>を脱ぎ捨て、素直な気持ちで過去と向き合うのもいいんじゃないかなって思いました」
CDには若き日のPANTAさんが作詞・作曲した「ゆり子」「気取り屋マリア」にオックスのヒット曲「スワンの涙」、オックスの弟バンドとしてデビューしたローズマリーの曲「可愛い人よ」が収められている。
「GSの連中も商業的に売れ線の曲をやらされることに『やってられねぇ~よ』と思ってました。ピーナッツバターは翌年に結成した頭脳警察につながったと思う。もちろん反面教師として、ですが。<洋楽の物まねではなく、オリジナルのロックを日本語で歌おう>と決心するに至った貴重な経験となりました」
――頭脳警察時代のPANTAさんには、多くの武勇伝があります。まずは1970年5月7日の「日劇ウエスタン・カーニバル」の「マスターベーション事件」です。
(この項つづく)