田中理事長のネコババ逮捕 腹立たしいのは日大の学生たちが誰も何も騒がないことだ
今、もしも我らが学生だったら、すぐに仲間らと授業ボイコットして理事会に団交を迫って行動していただろうと思う。1968年、世界中にベトナム反戦と体制変革のスチューデントパワーが沸き起こる中、日大は7月に国税局に30億円以上の使途不明金や脱税で摘発され、それに学生たちが怒り、全学共闘会議(日大全共闘)がのろしを上げた大学だった。大学職員2000人に裏金で給料を払ってたり、最高額が1人1億5000万だったりと不正がバレて、学生たちは「我々の授業料は父や母の汗の結晶だ!」と3000人が抗議集会を開き、会頭や理事の総辞職とカネの使途説明を大学当局に迫ったのだ。「集会の自由を認めろ」と無期限ストに突入、ついには機動隊とバリケードを挟んで攻防戦が始まり、学生の抵抗で機動隊員が死んだりした。それが日本中に知れ渡った「日大全共闘」だった。
数千人のデモ隊は数千の機動隊と神保町の街でも衝突、学生たちは人生を懸けて逮捕覚悟で闘った。火炎瓶を使い始めるのもこの頃で、パリ五月革命で学生が投げたのを見たからとか。べトナム戦争に加担する佐藤首相に「日大生は常識を逸脱している」と言わせた。