旧ジャニーズ事務所は言語道断!被害者対応と補償問題に誠意なし…被害者たちは強い憤りと嘆き
旧ジャニーズ事務所の創業者である故ジャニー喜多川氏による連続性加害で、スマイルアップ社の進める補償対応のずさんさがまたしても明らかになった。
国連人権理事会の作業部会による調査報告書の公表を受け、このほど「当事者の会」メンバーらが開いた記者会見(写真)。被害を訴えたものの、補償の対象外とされた被害者からは「とても(自分たちに)寄り添った対応ではない」と涙ながらに訴える場面も。そのひとり、会見に初参加した堀田美貴男氏(51)はこう言った。
「たった1回のヒアリングで、確認ができなかったというメール一本だけ。本当に調査したのかと憤りを感じています」
堀田氏は会社員だ。実名と顔をメディアの前に出すリスクもあるだろうが、それ以上に腹に据えかねたのだろう。静かな口調ながら、怒りをにじませた。
堀田氏に対するジャニー喜多川氏による性加害は広島駅の構内という公共の場、公衆の面前という常軌を逸したものであったという。堀田氏の記憶はとても鮮明だ。
1987年8月、厚生年金会館(現・広島市文化交流会館)でのコンサートのため、光GENJIのメンバーを連れて新幹線のホームに降り立ったジャニー氏に、「ジャニーさんですか」と声をかけたところ立ち止まり、「そうだよ」と答えたという。
当時、堀田氏は15歳の中学3年生。姉の勧めもあって、ジャニーズ入りを志願し、問い合わせたところ、履歴書送付を求められ「ジャニーズファミリークラブ」宛てに郵送していた。その返答がないことを告げると、「だったら東京に帰ったら君の履歴書捜すから、君の名前と住所と電話番号教えてよ」と言い、ジャニー氏は花柄のボールペンを出したそうだ。
メモをしながらも、全身を舐めるように見ながら、近づいてきた。そして肩に、腰に手を回し、荒くなった息を吹きかける。
「でもさあ、地方の子は難しいんだけどね」
そこは新幹線口の改札を抜けて、在来線の南口へとつづく通路。夜8時、通勤客らが行き交う時間であった。少年が不快感と恐怖で身を硬くしても、ジャニー氏の邪な手は動きを止めず下腹、さらに股間をまさぐり、性器をもてあそびはじめた。抵抗すると、入所の道も閉ざされると思って、恥辱に耐えて目を閉じるしかなかった。
しかし、翌日のライブ会場ではそっけない態度を取られ、東京に行って、テレビ朝日にあった「レッスン場」にも出向いたが、なしのつぶて。陵辱された屈辱、感触が残り、PTSDとなって、苦しみ続けることとなった。