「梅毒」がシューベルトを歴史的な有名作曲家に変えた?
しかし音楽に没頭するあまり、学業の成績が振るわず退学。その後はシューベルトの音楽的才能を惜しむ人の援助に恵まれます。中心になったのは「シューベルティアーデ」のメンバーです。シューベルティアーデとは、シューベルトの仲間たちの部屋で彼の音楽を中心に芸術に関して語り合うサークルのことです。 シューベルトがピアノを弾き、宮廷歌劇場の歌手・フォーグルが歌い、友人たちは合唱に参加したと言われています。メンバーの中にはシューベルトを下宿に居候させたり、五線紙を買い与えたりする人もいました。そのおかげで、シューベルトは音楽を続けていくことができたのです。
その延長で高貴な人たちとの交流も増えていきます。たとえば、シューベルトは1818年、ハンガリーのツェルス(現在はスロバキア領)に住んでいたエステルハージ伯爵から2人の娘たちの音楽教師として雇われ、その館に滞在したといわれています。その時、伯爵の娘・カロリーヌとシューベルトに恋が芽生えたのですが、身分があまりに違いすぎたため恋が実ることはありませんでした。このことを題材にした映画「未完成交響曲~シューベルトの恋~」をご覧になった人もおられるでしょう。