被災地の支援活動では車での移動中に恐怖を覚えた場面も
私が災害派遣で珠洲市に行ったのは地震から1カ月以上が経過した頃でした。金沢から能登半島に向かう高速道路「のと里山海道」は途中で寸断されており、車で金沢を出発して珠洲に入るまで、3時間以上かかりました。道路はマンホールが突き出ていたり、崩落していたり、まだまだひどい状況だったのですが、通行できるように補修された道も多く、そこまで大きくない穴は応急的に砂利で埋められるなど、すごいスピードで道路工事は行われていました。
しかし、川にかかっている橋と陸とのつなぎ目は、ズレてしまっているところが多く、通行するには大きな段差に注意しなければなりません。道路の復旧はかなり進んでいたものの、医療チームの自損事故やパンク事故、迷って目的地に着けないなどの報告も多く聞きました。
私は事故には遭遇しなかったのですが、日没後の車での移動はかなり危険でした。宿泊先だった約15キロ離れた「石川県立能登少年自然の家」への移動では、街灯などもない状況で突然現れる障害物には恐怖を覚えました。被災地での車移動では、必ず1人が助手席でナビを行います。グーグルマップなども高速道路の通行止め情報などある程度は参考になるのですが、現地では刻々と道路状況が変化していて必ずしも最新の状況を反映しているわけではないので、「あの道はグーグルマップでは通れることになってるけどダメでこちらの道なら通れるよ」といった他の医療チームからの情報や、石川県警察のホームページもとても役に立ちました。