植松三十里さん<2>若いモデルが「霊がいる」と泣き出し…
念願の出版社に入社した植松さん。
「入社して最初に『婦人画報ビューティー』編集部に配属になりました。当時の婦人画報社は社員人数が約200人で、廃刊を出さないのがポリシーだったんです。看板の『婦人画報』は、婦人雑誌としては明治時代にできた日本で一番古いもの。なので皇族のファ…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り1,285文字/全文1,425文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】