ウインズ後楽園の“お膝元”神田三崎町の地元住民が語る「江戸と令和を結ぶ歴史」
小学校の授業で後楽園のプールに
町会に取材を申し込むと、町の生き証人たちが集まってくれた。町会長の加藤照夫さん(71)、塩谷信夫さん(71)、高橋総一郎さん(76)、渡邊幸男さん(76)の4人だ。みな戦後生まれ。先祖が三菱から借地を買い取り現住に至る。
「初対面の方に、千代田区に住んでいると言うと驚かれるよ。千代田区は皇居があって天皇家だけが住んでいると思っている人もいるからね」と冗談交じりに話すのは塩谷さん。4人の中で唯一、明治時代の移住組。先祖は栃木県出身で、神田川を下ってストーブ用の炭を運び販売していたという。その後、メッキ業や電気店などに転じたそうだ。
続いて高橋さんの話。
「三崎町がにぎわっていたのは、競輪場があったころだね。上州屋(六差路にあった酒屋。今はない)前は立ち飲み客が店の外まであふれて、ウチの店の焼き鳥もよく売れた。当時は1本10円でした」
高橋さんが営んでいた焼き鳥屋は、三崎稲荷神社前にあった。三崎稲荷は、ウインズに近い駅西口とは反対側の東口改札近くの神社だ。ほかにも飲食店を経営していたが、今は貸しビル業で生計を立てる。
その三崎稲荷神社ではかつて9の付く日に縁日が開かれていた。「テキ屋にはボクシングのチケットをよく買わされた。昔は後楽園にダフ屋もいたけど、いなくなったね」と高橋さん。小学生の体育の授業で後楽園のプールやローラースケート場に行ったとは、さすが千代田区民!
「後楽園は文京区だけど、当時のプールは井戸水だったから冷たくて。みんな唇を紫にしてブルブル震えていたよ(笑)」
現在の東京ドームは元々、競輪場だった。美濃部亮吉知事がギャンブル廃止を打ち出し、プールやゴルフ場にリニューアルし、1988年に日本初のドーム球場に。
高橋さんが語るプールとローラースケート場は競輪場廃止前からあったものだ。その美濃部知事は、都電も荒川線以外は廃止した。
「白山通りの路面電車が撤去されて電線が消えたときに空が広くなったなと思いました」(塩谷さん)
三崎町は日大紛争(1968年)の舞台にもなった。高橋さんが営む喫茶店も法学部脇にある。
「あの当時は、ヘルメット学生が道路の縁石をはがして校舎の上から機動隊めがけてがんがん投石してさ。市街戦で商店のガラスも割れたりして危なかった。町会理事がテレビに引っ張り出されて学生とやり合ったこともあったな」(高橋さん)