ウインズ後楽園の“お膝元”神田三崎町の地元住民が語る「江戸と令和を結ぶ歴史」
バブル期は1坪3000万円で
加藤さんは町で唯一残った製本業者。印刷が機械式の大量生産に移行して町は変わったという。
「大手印刷会社が郊外に工場を建てて移転したので、製本屋も一緒に移転していきました。時代の流れで工場の機械の音も『うるさい』と言われるようになってね」
町の人の胃袋を守った食堂や商店街も人口減少とともにすたれていく。渡邊さんたちは文京区のスーパーまで買い出しに出向く。バブル期の地価上昇が人口減少に追い打ちをかけたという。
「この辺りは小さな家やビルばかりだから、地上げがすごかった。1坪で2000万円、3000万円の値がついたから、自宅を売って引っ越した人は多い」(渡邊さん)
帝都自動車交通社や大塚商会、秋田書店など大企業が軒並み移転したこともあり、町内会の会員は企業も含めて375に減少。今は学生の町だ。
「いろんな学校があるけど、日大色が強い。法学部だけで15号館もあるんだから」(塩谷さん)
学生の姿も目立つこの町の繁華街で1996年から台湾家庭料理「台北」を営む光村学さん(44)はこう言った。
「商売は東京ドームさまさまでした。でも5年後には築地に移転しちゃうんでしょ? そうしたらどうなるのかな。でもまあ、やっぱり千代田区。東京都千代田区の名刺を作りたい経営者は多いからね」
振り返ると、ウインズ後楽園がある文京区後楽一帯もかつては大名屋敷で、屋敷は軍需工場になり、関東大震災の大被害を受けて、工場跡地は後楽園スタヂアムに売却されている。三崎町にも共通するキーワードは陸軍だ。だれもがあこがれる千代田区の町はこの先、どう移り変わるのか。要注目だ。