サンミュージック 岡博之社長(1)創業当初からの生え抜きが芸能プロのトップに
「東映俳優養成所の僕が5期生でぶっちゃあさんは3期生でしたが、話を聞くと養成所ができる前からいるらしく、東映に通っていた時期は1期生より古い。川谷拓三さんと一緒だったらしいから。面白い先輩だからすぐ意気投合して仲よくなりました」
「仁義なき戦い」に憧れて東映にくる役者志望が多く、ぶっちゃあさんもその一人。大部屋役者のように斬られ役などチョイ役で出演しては、持ち前の明るさでスターと仲よくなるぶっちゃあさんに、岡社長も倣った。
「僕は昼が専門学校だから養成所にいるのは夜。昼の俳優コースに1つ年下の俳優の徳井優がいました。彼とぶっちゃあさんらと自主映画グループを結成。ぶっちゃあさんは『仁義なき戦い』シリーズなどで撮影に来る根津甚八さんやジョニー大倉さんとすぐ仲よくなり、僕と徳井を紹介してくれました。なぜ根津さんが僕らと話してくれるかというと、スターでも東京から太秦に来るとビビるらしいんです。スタッフ全員から大部屋役者まで自分から挨拶に行かないと素っ気なくされ、キツい時は無視される時代でしたから。僕らより前はひどくて、生意気な役者さんはいろいろと冷たくされるとか。だから、大部屋のさらに下の僕らも仲よく話せてもらえたんです。若手だから話しやすかったのかも。しかも僕とぶっちゃあさんは世間話が漫才みたいになっていました。根津甚八さんは僕らを見るとにこやかに『今日、現場入ってんだ』と話しかけてくれたし、僕らの自主映画グループの名を『酔狂キネマ』と決めた時には『その後の仁義なき戦い』で来ていた宇崎竜童さんが有限会社をもじって『無限会社酔狂キネマ』にしたら? と提案してくれたり」