五輪後の新国立競技場を球技専用にして何が「レガシー」だ
金栗四三さんが日本選手として初めて参加した1912年ストックホルム(スウェーデン)のスタジアムはサブグラウンドがなくても残され、サッカーと併用されている。
私の記憶や現地で見たものも含め、1928年アムステルダム(オランダ)から2016年リオデジャネイロ(ブラジル)まで(別表参照)、五輪のメインスタジアムから陸上トラックが消えたり、サブグラウンドも残っていない都市は、野球場にすることが決まっていた76年モントリオールと96年アトランタ、ラグビー場になった00年シドニーのスタジアムぐらいではないか。
64年に熱い戦いが繰り広げられ、マラソンの円谷幸吉の銅メダルで沸いたのに姿を消した国立競技場のようなケースは極めて異例だ(※48年ロンドンのウェンブリー・スタジアムは老朽化、改築し、現サッカー場)。
■スポーツ文化がわからない
どの都市も、五輪スタジアムの維持・管理には金がかかる。それでも「レガシー」として残しているのは、スポーツ文化というものを理解しているからだろう。20年東京五輪に携わる者は「レガシー」「レガシー」と口では言うが、陸上に関してはオリンピックをやっただけで何も残らない。新国立の年間維持費は約30億円(長期修繕費含む)ともいわれている。金のことを言うなら、そもそも建て替える必要があったのか、どうか。結局、この国はスポーツ文化のことなどわかっていないんだよ。だから、誰かが言わなければならないんだ。陸連はどうして黙っているのか。強化費を削られることを心配しているのか。陸上は日本のスポーツを支えてきた競技だ。軽視はおかしい。知恵を絞れば解決できる問題だと思う。人生で2度目の東京五輪を目前にして、この点だけはどうにも納得できんな。