ヤクルトユマキャンプの珍騒動“国境越え”で監禁騒動に発展
ヤクルトのユマキャンプといえば、思い出すことがある。
ユマはメキシコとの国境に近く、選手数人が休日にドライブをしていたところ、いつの間にかメキシコに入ってしまったそうだ。当時は米国からメキシコへ入るのは、ほぼノーチェック。ただし、メキシコから米国へ戻る際にはパスポートが必要になる。気軽に出掛けたドライブだったため、パスポートを携帯しておらず、しばらく国境にとどまることになってしまった。
食事時間にもミーティング時間になっても戻ってこなかったため、「監禁されてしまったのでは?」と宿舎は大騒ぎになった。
私が選手会長だった1993年には、球団の人がスーパーでサンマを大量に買ってきた。宿舎ホテルのプールサイドで、バーベキュー用の鉄板を使い、ガンガン焼いたのだ。疲れている選手たちに日本の味を振る舞うためだったが、火事のように大量の煙が発生してしまい、消防車やパトカーが複数駆けつける騒ぎに発展。地元警察に大目玉を食らうという“事件”もあった。
87年に万年Bクラスのチームにやってきたのは、私の法大の先輩でもある関根潤三監督だ。開幕時にはすでに60歳。穏やかで優しい好々爺のようなイメージがあったが、そんな印象はすぐに変わった。練習時間の長さは歴代でも随一といわれた。4日に1度のキャンプの休日もほぼなくなった。