体罰は指導の放棄…古賀稔彦さんが貫いた柔道界異質の哲学
1992年バルセロナ五輪柔道男子71キロ級の金メダリスト、古賀稔彦さんが24日に急逝した。53歳。死因はがんで、昨年から闘病中だった。関係者によると、昨年3月には腎臓の片方を摘出する手術を受け、最近になって腹水がたまるなど体調が悪化したという。
88年のソウルから3大会連続で五輪に出場して「平成の三四郎」と称された古賀さんは、指導者としても類いまれな能力を発揮した。現役引退後は女子の日本代表コーチを務め、町道場の「古賀塾」を開いて後進の指導に尽力。2007年からは環太平洋大学(岡山県)の女子柔道部総監督に就任し、同部を全国屈指の強豪に引き上げた。
「40歳で弘前大学大学院に進学して医学博士の学位を取得。スポーツ選手の『五月病』をテーマに研究し、練習意欲低下の原因を科学的に分析して指導に反映させた。その先進性はいまだに根性論がはびこる柔道界では異質の存在でした」
とは、柔道関係者。殴る、怒鳴るの指導が当たり前だった柔道界にあって、体罰や暴力的指導を完全否定。パワハラの根絶をことあるごとに訴えた。13年に日本女子柔道代表監督による暴力指導が社会問題化したはるか前から、「指導者が目標を頭ごなしに押し付けない」「選手が負けたのは指導者の責任。敗因を一緒に考える」「叱るにしても選手の逃げ道がなくなるようなやり方ではダメ」と指導者のあるべき姿を語り、「体罰は指導の放棄」と繰り返した。