コロナ禍でもアスリートたらんとする彼らを応援することがモットー
■五輪は本来の意義を逸脱しグロテスクに増長
「それらのすべてのことを差し引いても、今回の五輪は2013年に東京が開催権を得たときに描いていたものとはまったく違うものになってしまっている。五輪が本来の意義を逸脱してグロテスクに増長した姿になってしまっているからだ」
記事内ではその理由として具体的な事例を挙げていないものの、行間からは五輪にまつわる汚さや欺瞞への批判が伝わってくる。おそらく筆者はカネまみれの実態や、復興五輪、人類がコロナに打ち勝った証しなどというウソを指しているのだろうが、あえて具体的な理由を一つ一つ挙げることは避け、それでも開催するのであればと、アスリートの側に立って希望をつづっている。
「五輪のスローガンのひとつ、“気持ちでつながろう!”って、見る人もアスリートも一体、どんな気持ちでつながればいいのか」
「それでもアスリートは東京にやってくる。感染の恐怖があっても、観客の声援を受けられなくても、それでも彼らはアスリートであることをやめない」