Jリーグを作った男「即断即決のできるリーダー」森ケンさんを悼む
1985年は先にも紹介した森チンさんが率いる日本代表が、メキシコW杯予選で北朝鮮や香港を次々と撃破してアジアの最終予選まで勝ち上がった年だった。日本サッカー史上、初めてのことでJSLも開幕をずらしているうちに9月スタートとなり、翌年の3月終了という〈秋開幕-春閉幕制〉を初めて採用した。
これはJSLが27年の歴史に幕を閉じる1991-1992年シーズンまで続いた。
筆者が、森ケンさんを初めて取材したのは、JSLの総務主事に就任したばかりの頃だった。第一印象は「即断即決のできるリーダー」だった。
当時JFAの長沼健専務理事が「和を尊ぶリーダー」だっただけに好対照ぶりが際立った(あくまで個人の印象です)。
Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎氏、森ケンさんと二人三脚でJリーグ創設に尽力した木之本興三Jリーグ元専務理事(2017年1月に他界)も同じタイプ。その後、衝突して疎遠になった時期もあったが、それは避けられない事態だったのかもしれない(ちなみに3人とも口が悪いのも共通している。もちろん個人の印象です)。