東日本大震災の余震が続く中「我が子を守る」と決めた日
あの当時は本当にいろいろありました。つらいことも苦しいことも語り尽くせないほど。再びまわしをつけ、稽古場に上がる蒼国来の姿を見たときは、安堵と喜びの気持ちでいっぱいでした。
大相撲が八百長騒動に揺れた2011年。私の弟子で、現在の荒汐親方である蒼国来も、関与を疑われました。当時は東前頭16枚目、27歳でした。
蒼国来は19歳のとき、私が中国内モンゴル自治区から連れてきた力士。あの頃、私は時津風部屋から独立したばかりで、彼が3人目の弟子。異国からスカウトし、手取り足取り教え育て、これから幕内に定着しようというときです。
私は蒼国来の無実を信じていました。自分の子どもの言うことを信じられない親ではいけません。
本当に優しい子なんですよね、蒼国来は。内モンゴルではレスリングをしていましたが、最初の頃はボクシングを学んでいました。ところが、性格が優しすぎて人を殴れない。これでは到底ボクシングは無理だということで、レスリングに転向した経緯があります。「親の欲目」と言われても、これだけは私も曲げませんでした。
でも、協会の解雇処分の無効を訴える裁判となると、私が彼にできることはほとんどありませんでした。もちろん、訴訟を起こす前に話し合いを重ねました。当時は東日本大震災が起こった直後。余震も続き、我々も不安な日々を送っていました。そんな中、私たちは毎日、今後について膝を突き合わせました。