スカウト交渉に難儀…初めて訪れた内モンゴル自治区は見渡す限りの荒野だった
とにかく内モンゴルは広く、市から市まで車で1日以上かかる場合もありました。当時は舗装も満足にされていなかった道路はデコボコ。聞いた話だと、「冬に凍結した土の下の水分が溶け、地面が盛り上がる」とのこと。土が軟らかく、場所によっては靴どころかすねまで埋まってしまったほどです。現在はインフラの整備も進み、道路事情も相当改善されていますが。
モンゴルというと、地平線の果てまで続く大草原―—と連想しがちですが、内モンゴルは草が少ない荒野、荒れ地でしたね。
蒼国来が住んでいた赤峰市に着いた私は、早速、大学の体育館に行きました。土地が広いからか建物も大きく、立派な体格の学生たちが、あっちでレスリング、こっちでは柔道、向こうではモンゴル相撲……と、さまざまな競技に励んでいました。
私が「これは」と思った学生は何人かいましたが、ある子はすでにレスリングのアジア王者になっており、そちらの道に進むから無理。別の子は「国から保障があるので……」と、なかなかうまくいかない。
これは空振りかな、と思い、仕方なくホテルに帰ることに。その夜、内モンゴルのテレビ局のスタッフが、1人の筋肉質の少年を連れて私の元に来ました。彼こそ、後に蒼国来を名乗ることになる、エンクー・トプシン少年だったのです。 (つづく)