著者のコラム一覧
大豊昌央元大相撲力士

本名は鈴木栄二。1955年3月29日、新潟県北魚沼郡堀之内町(現魚沼市)出身。73年に時津風部屋に入門し、同年11月場所で初土俵。81年1月場所に新十両に昇進し、82年5月場所で新入幕。83年1月場所は新三役として小結を務める。87年1月場所後に引退し、時津風部屋の部屋付き親方となり、2002年に独立。20年に蒼国来に部屋を継承させ、相撲協会を退職。主な弟子は蒼国来、若隆景、若元春ら。最高位は小結。

スカウト交渉に難儀…初めて訪れた内モンゴル自治区は見渡す限りの荒野だった

公開日: 更新日:

 とにかく内モンゴルは広く、市から市まで車で1日以上かかる場合もありました。当時は舗装も満足にされていなかった道路はデコボコ。聞いた話だと、「冬に凍結した土の下の水分が溶け、地面が盛り上がる」とのこと。土が軟らかく、場所によっては靴どころかすねまで埋まってしまったほどです。現在はインフラの整備も進み、道路事情も相当改善されていますが。

 モンゴルというと、地平線の果てまで続く大草原―—と連想しがちですが、内モンゴルは草が少ない荒野、荒れ地でしたね。

 蒼国来が住んでいた赤峰市に着いた私は、早速、大学の体育館に行きました。土地が広いからか建物も大きく、立派な体格の学生たちが、あっちでレスリング、こっちでは柔道、向こうではモンゴル相撲……と、さまざまな競技に励んでいました。

 私が「これは」と思った学生は何人かいましたが、ある子はすでにレスリングのアジア王者になっており、そちらの道に進むから無理。別の子は「国から保障があるので……」と、なかなかうまくいかない。

 これは空振りかな、と思い、仕方なくホテルに帰ることに。その夜、内モンゴルのテレビ局のスタッフが、1人の筋肉質の少年を連れて私の元に来ました。彼こそ、後に蒼国来を名乗ることになる、エンクー・トプシン少年だったのです。 (つづく)

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    巨人原前監督が“愛弟子”阿部監督1年目Vに4日間も「ノーコメント」だった摩訶不思議

  2. 2

    巨人・阿部監督1年目V目前で唇かむ原前監督…自身は事実上クビで「おいしいとこ取り」された憤まん

  3. 3

    松本人志は勝訴でも「テレビ復帰は困難」と関係者が語るワケ…“シビアな金銭感覚”がアダに

  4. 4

    肺がん「ステージ4」歌手・山川豊さんが胸中吐露…「5年歌えれば、いや3年でもいい」

  5. 5

    貧打広島が今オフ異例のFA参戦へ…狙うは地元出身の安打製造機 歴史的失速でチーム内外から「補強して」

  1. 6

    紀子さま誕生日文書ににじむ長女・眞子さんとの距離…コロナ明けでも里帰りせず心配事は山積み

  2. 7

    渡辺徹さんの死は美談ばかりではなかった…妻・郁恵さんを苦しめた「不倫と牛飲馬食」

  3. 8

    メジャー挑戦、残留、国内移籍…広島・森下、大瀬良、九里の去就問題は三者三様

  4. 9

    かつての大谷が思い描いた「投打の理想」 避けられないと悟った「永遠の課題」とは

  5. 10

    大谷が初めて明かしたメジャーへの思い「自分に年俸30億円、総額200億円の価値?ないでしょうね…」