最も難しいホームランバッター育成に必要なこと・邪魔なもの…僕はロッテ時代に教わった
そんなことを教わったのが、僕が選手兼コーチとして指導者人生をスタートさせた千葉ロッテである。
ロッテとの縁は2009年11月11日、古巣阪神の多くの関係者に反対されながら、12球団合同トライアウトを受験したことで生まれた。その後、招待選手として春季キャンプに参加し、2月3日の練習後、球団から「合格」を告げられた。まさに「ホッとした」という表現がピッタリの気持ちだった。
僕は入団会見で「チームが優勝するためなら何でもやる覚悟です。ロッテが最後の球団になると思う。もう怖いものはない。内に秘めた思いをバットに込めたい」と言った。球団幹部に宿舎の部屋に呼ばれ、「一緒にやろう。チームの力になってくれ」と声をかけてもらい、腹は決まった。
主に代打の役割で開幕一軍メンバー入り。調子が上がらずに二軍で調整する期間が長くなっても阪神時代のように腐ることはなく、心は穏やかだった。若手に僕の経験を伝えようと思った。新天地でもう一度、野球ができると思ったら、チームのためになりたいと、自分でも驚くほど気持ちが変わったのである。