「友川カズキ独白録」友川カズキ著
生きてるって言ってみろ! 友川カズキは、じだんだ踏んで叫ぶように歌う。65歳の今も歌い続けている。しかし、「私ね、『時々、歌手』なの」と言う。歌だけで食えたためしがなく、肉体労働を転々とした。
歌はつくるが譜面は読めず、ギターも自己流。ミュージシャンの自覚はない。山ほどの詩を書き、絵を描き、競輪を愛する。大酒豪で宴会師。たまに映画やテレビに顔を出す。友川カズキとはいったい何者か。
自伝など書いているひまはないが、しゃべるのは得意というわけで、自分のことを語りに語った。1950年、秋田県八竜村(現三種町)生まれ。文学など無縁だった野球少年は、中学2年のとき運命的な出合いを経験する。図書館の掃除当番で、たまたま開いて置いてあった本のページが目にとまった。中原中也の詩「骨」だった。読んで強い衝撃を受け、詩を書き始めた。
しかし、道は真っすぐではなかった。能代工業高校時代はバスケットボールに熱中。指導者を夢見て中学生のコーチを務めるが、常軌を逸した熱血指導で辞めざるを得なくなった。孤絶して上京。土木作業員をしながら、書きためた詩とギター一本で自分の歌をつくった。その歌は先鋭的な同時代人の心をつかんだ。大島渚、中上健次、たこ八郎といった人たちとの破天荒な交友ぶりもたっぷり語られる。