「兵隊になった沢村栄治」山際康之著
プロ野球の最優秀投手に贈られる「沢村賞」にその名を残す伝説の名投手、沢村栄治。1934(昭和9)年、17歳のとき、日米野球の大舞台でベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグらを相手に快投し、その後、巨人軍に入団。職業野球の創成期にエースとして活躍した。
沢村の現役時代は、日本が戦争に突き進んだ時代と重なる。体格がよく、運動能力も高い職業野球選手は徴兵検査で甲種合格することが多かった。沢村も例外ではなく、昭和13年、三重県久居歩兵三三連隊に入営。大陸の前線で手榴弾を投げまくり、いつしか野球を忘れて兵士となっていく。2年の軍隊生活を終えて、野球選手として復帰するが、昔日の面影はなかった。
その後、沢村は2度の召集を受けた。昭和19年10月、3度目の召集から間もなく、27歳の沢村を乗せた輸送船は、屋久島沖で米国潜水艦に撃沈された。生存者はいなかった。
沢村に限らず、「もう一度野球がしたい」という願いがかなわぬまま戦死した職業野球選手や監督は枚挙にいとまがない。どのチームも選手不足。野球はもともと敵国競技だから、存続さえ危うい。日本野球連盟の理事たちは、軍の意向に協力するそぶりを見せながら、野球と選手を守るためにあらゆる策を講じ、軍を欺いた。選手を大学に行かせて合法的に徴兵回避を試み、それが難しくなると、選手たちを産業戦士として徴用した。しかし、敗色が濃くなると、職業野球を休止するという苦渋の決断を余儀なくされる。
戦争の愚に翻弄されながら生き、あるいは死んでいった野球人群像を、膨大な資料にもとづいて描いた貴重な記録。こんな男たちが、戦後のプロ野球隆盛の礎になったのだ。(筑摩書房 880円+税)