一足とびに大人になった手塚治虫らのこども時代
「みんな昔はこどもだった」池内紀著/講談社 1950円
日本のメーキャップアーティストの草分けであり、83歳のいまも現役の美容研究家として活躍している小林照子さんが、その昔、「どんなに怖そうな男の人でも、その人の赤ちゃんやこどもだった頃を思い浮かべると可愛く思えるものよ」といっていた。長年、多くの顔と付き合ってきた人の至言だと感心した。巨匠、大家といわれた人でも、そのこども時代の顔を思い浮かべれば親しみを覚えるにちがいない。
本書に登場するのは、極めて個性的にそれぞれの時代を生き抜いた15人のこども時代である。14歳で採集した昆虫を克明に写生して自家製の「原色甲蟲圖譜」を作った手塚治虫、幼いながらに戦前日本の中産階級の暮らしを正確に写し取っていた向田邦子、祖父に買ってもらった雑誌で初めて目にして以来、生涯飛行機を偏愛した稲垣足穂、貧乏で鍛えられ、したたかな少女時代を過ごした林芙美子、70歳を越えて幼少時代を克明に語る柳田国男、イギリス人の父を持ち、差別にさらされながらオペラという天職に巡り合った藤原義江、乱世の子として同時代を生きた超俗的な文雅人・澁澤龍彦、生涯、幼い妹を救えなかったことの負い目を抱えながら道化役をこなした野坂昭如……。
著者がいうように、ふつうは少年・少女期から次第に大人になるのだが、本書で描かれる人たちは、多かれ少なかれ、「一足とびに世情にたけた大人になって、のちに少しずつ少年・少女期をとりもどし」ているところがあり、その取り戻す過程がそれぞれの作品として結実しているのだろう。この手塚に始まり野坂で終わるこども時代の探訪は、著者自身がたどってきた歴史の読み直しであり、畦地梅太郎、藤牧義夫という名前が入っているのは、本書が「偏愛的作家論」でもあるゆえんだ。 <狸>