「夜明けの雷鳴 医師高松凌雲」吉村昭著
イタリア統一戦争の負傷者の救護に当たったアンリ・デュナンは「傷ついた兵士はもはや兵士ではない、人間である。人間同士、その尊い生命は救われなければならない」と訴え、この原則のもとに国際赤十字組織ができたのは1864年。3年後のパリ万博に江戸幕府代表団の随行医としてパリを訪れた高松凌雲は、医学校を兼ねた「神の館」という病院で学び、貴賤上下を問わない博愛精神に触れ、帰国後に赤十字運動の先駆者となった。本書はその高松凌雲の生涯を描いたもの。
【あらすじ】筑後国の庄屋の家に生まれた凌雲は久留米藩士の養子となるが、養家に馴染まず蘭学を学ぶために単身江戸に出る。蘭医石川桜所に弟子入りし、その後大坂の緒方洪庵の適塾でも学び頭角を現し、徳川昭武のパリ万博の奥詰医師に抜擢された。一行には御勘定格陸軍附調役として渋沢篤太夫(渋沢栄一)もいた。
「神の館」では外科手術にも立ち会い大いに勉学に励んだのだが、滞在中に将軍慶喜が大政奉還し、朝廷軍との戦いに幕府軍が敗れたとの報が飛び込んできた。なんとか帰国したものの新政府にくみすることを潔しとしない凌雲は、榎本武揚に合流して箱館戦争に参加する。
戦いは凄絶を極め多くの負傷者が出るが、凌雲はパリの「神の館」に倣って、敵味方の区別なく治療に当たった。賊臣の身となった凌雲は市井の一医師として後進の指導にも当たり、「神の館」の精神を引き継ぎ貧しい者に無料診療を施す同愛社を設立する──。
【読みどころ】凌雲の生涯は、文字通り時代の大きな波に翻弄されたものだったが、激動期を生き抜いた彼を支えたのは、医療という科学的な精神であることがよく伝わってくる。 <石>
(文藝春秋 781円)