「公衆衛生の倫理学」玉手慎太郎著

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 毎年の健康診断で、肝臓の数値や血糖値などに引っかかり「酒を控え、食事にも気をつけて」と注意されてモヤモヤする読者も多いのではないか。あるいはメタボと判断され「生活指導」されつつも「余計なお節介だ」と思う向きもあろうか。

「健康第一の社会に違和感はないか? という疑問に、いや、健康は大事だから、国家が守ろうとするのも当然じゃないか。そう答えて話を終わりにしてしまうのは簡単だし、常識的です。ですが、公衆衛生における、そうした常識には、倫理学的に問い直す余地があるんですよ。倫理学とは人々の行動の規範の善悪を検討する学問で、善悪は他人の尊厳を守れるかどうかです。同じことが国家にも言え、その主題の一つが公衆衛生なんですね」

 政治哲学・倫理学が専門の著者が「国家は健康にどこまで介入すべきか」をテーマに、肥満対策からパンデミックにおける行動制限に至るまで公衆衛生の捉え方について、最新の現代倫理学の観点から広く考察したのが本書だ。

「公衆衛生はもちろん善意に基づいていますし、医療費削減につながり、社会全体の利益に資するものです。しかし、食事のあり方、睡眠時間、通勤方法、余暇の過ごし方などに指針が提示され、それに従うことが求められ、従わない人は怠惰だとされてしまうような社会は生きやすいでしょうか。時には人に大きな負担や不当な抑圧をもたらすかもしれません。行きすぎたパターナリズム、スティグマといった問題があるからです」

 パターナリズムとは、強い立場の者が弱い立場の者に、あなたの利益のためだからと本人の意思を問わずに強制的に介入すること。スティグマは、普通の人とは違うという理由で差別・偏見の対象となる負のイメージなどのこと。例えば肥満を避けるべきものと捉えると、貧困や長時間労働できちんとした食生活をしたくともできない人を自律性が欠如しているとみなすことになり得る。健康をめぐるパターナリズムが幅を利かせる中、著者は、誰もがいつの間にか望まない健康を押し付けられていないか、また「健康でない人」に差別的な目を向けていないかと問いかける。

「2016年に、自民党若手議員が『健康ゴールド免許』を提案しました。健康管理に努めた人に、医療保険の自己負担を引き下げるというもので、不健康になった人への差別を助長しかねませんでした。ブーイングが殺到し、取り下げられましたが、17年から同様の方針による医療費控除の一種『セルフメディケーション税制』がシレッと始まっています。一方、イギリスでは国の政策により、国内で販売される食パンの食塩含有量を少しずつ減らしていき、人々の平均食塩摂取量が大きく低下。心筋梗塞などの死亡率が下がったと報告されています」

 一筋縄ではいかないからこそ面白い。他にも、コロナ禍の対策とそれがもたらした問題や、中国の強権的な政策介入を肯定する傾向があったことなどについても言及されている。 (筑摩書房 1870円)

▽玉手慎太郎(たまて・しんたろう) 学習院大学法学部政治学科教授(政治哲学・倫理学)。1986年宮城県生まれ。東北大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。東京大学大学院医学系研究科生命・医療倫理教育研究センター特任研究員などを経て、21年から現職。共著書に「政治において正しいとはどういうことか」「平等の哲学入門」など。

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