ベルギー出身監督の最新2作が同時公開
「Here」「ゴースト・トロピック」
夜になると都会では大きな人工音が絶える。すると静寂に遠い地鳴りのような人工音が混じり合って、都会のほかにはない、神経の研ぎ澄まされた独特の空間になる。
ふだんは意識しないそんな〈夜の神経〉を描いたのが今週末封切りの「ゴースト・トロピック」。ベルギー出身で監督歴10年に満たないが、いま注目のバス・ドゥヴォス氏の2019年の監督作である。
プロットは単純。終電で居眠りして終点まで乗り過ごした中年の清掃員女性が歩いて家まで帰る。それだけの話だが、乗り過ごしの描き方といい、ひとけない街路をぽつねんと歩く小柄な姿といい、演出の手並みに機知がある。
喜劇にも悲劇にもなり得る話なのに、どっちに行くわけでもなく、主人公の境遇や人柄、大都会の孤独まで余すところなく描く。彼女がイスラムであることは外見でわかるが、それとて筋にじかにからむわけではない。個人的にはエンドシーンは不要と思うが、欠点とまで感じないのは手ぎわのよさゆえだ。
併映の「Here」は昨年製作の最新作。前作とは違った方法が、より洗練された水準を見せている。
深夜の街を歩くというので思い出すのは作家・小川国夫。昔、藤枝の小川さん宅にうかがったとき、深夜の2時、3時に散歩すると聞いた。日課のように何時間も歩くのだそうだ。人あたりは柔和ながら文学については狷介きわまりない人だった。それがしかし、愛読者を狂おしく引きつける源泉でもあった。
亡くなってのち、夫人が回想記を出した。小川恵著「銀色の月 小川国夫との日々」(岩波書店 1540円)である。一部で驚きをもって受け止められた手記のようだが、芸術が服を着て立っていたような小川国夫に、昼間の散歩は確かに似合わない。
なお著者は昨年の大晦日に逝去された。ご冥福を祈る。 <生井英考>