「癲狂院日乗」車谷長吉著
「癲狂院日乗」車谷長吉著
平成10年4月14日から翌11年4月13日までの1年間をつづった最後の私小説家の日記である。
著者は平成8年に「赤目四十八瀧心中未遂」を書きあげた。6年の歳月を費やした原稿だが、達成感は少しもなく、激しい虚脱感を覚える。そしてその夜からおかしくなった。下駄や靴が虚空を飛んでいるように見え、壁に死者の顔が映っていた。手や足に触れるものがみんな汚れているように感じ、5時間でも6時間でも拭いていた。
強迫神経症を患い、しょっちゅう胃痛に苦しみながら仕事を続けた。やがて「赤目四十八瀧心中未遂」が直木賞候補になると、映画化の話、出版社からの“ご親切な”進言、気の早いお祝いなどに気鬱になる。
直木賞を受賞直後は、新聞社やテレビ局からの原稿依頼に応じ、疲労困憊。新聞に自分の写真が大きく出たが、「こういう具合にもてはやされるのも、これが最後だろう」とつづる。
届いた手紙や食事など、日々のいちいちを書き留める一方、内容の多くは編集者との桎梏で、実名を出し感謝もするが悪態もつく。ある人とは絶交になり、ある編集者にはどんどん書けと言われ、苦悶する様子が生々しい。
偽ることなく記された欲望、人との争い、滑稽さと悲惨さはまさに人間の業であり、我が身に重ねる人も多いだろう。
(新書館 2860円)