くじ引きたさで駄菓子屋へ 蛭子能収“ギャンブル熱”の原点
その駄菓子屋には欲しいものがいっぱいあった。とくに、1回5円のクジ引きがやりたくてやりたくて。カアチャンに「小遣いちょうだい」ってしつこくねだったら、たまに5円くれるんで、それで引きに行ってました。景品が欲しいんじゃなくて、当たるかどうかに興味があったんです。
高校を出て、看板屋に就職した時も、放送局に勤めた同級生の半分くらいの月給。でも、「辞めたい」って言えなくて、23歳の時、少~しずつ貯めた7、8万円を持って、逃げるように東京に出てきたんです。それからしばらくも貧乏でした。
成増に住んでた友達のアパートに居候させてもらって。4畳半のアパートで風呂なし、トイレは共同。それでも、成増駅から戸田競艇までバス1本で行けたから、とりあえずお金がある間は遊ぼう、競艇でお金を増やそうと毎日通いました。で、夜は成増の商店街でパチンコ。1週間でほとんどなくなっちゃったんで、さすがにまずいと思って、1日700円の測量の棒持ちのバイトを始めたっけ。
当時は高度経済成長期だったから、働き口はたくさんあったし、貧しい人はいっぱいいたので、お金がなくても悲壮感はなかった。まあ楽天的っていうか、いい加減な若者だったんですよね。
▽えびす・よしかず 1947年10月、熊本県生まれ。73年「月刊漫画ガロ」に入選し漫画家デビュー。「劇団東京乾電池」の公演に参加したのを機に、89年「教師びんびん物語Ⅱ」(フジテレビ系)で俳優デビュー。競艇専門誌やパチンコ雑誌に漫画を連載しながらタレントとしても活躍中。