追悼・樹木希林さん 貫いた“奇妙な夫婦愛”と“ドケチ伝説”
希林さんが家族にみとられて最期を迎えようとするとき、内田と電話がつながり、意識が遠のく中、その声を電話のスピーカーを通じて聞いていたという。希林さんは生前、「自宅でみんなに囲まれて、夫には『どちらさまですか』と言って死にたい」「また生まれ変わることがあるのなら今度は出会わないようにしたい」ともコメントしていたが、2人にしかわからない夫婦愛を貫いた生涯だった。
一方、仕事ではこんな一面もあったそうだ。
「若手の役者に対しても面倒見が良く、セクハラやパワハラから彼らを守ってあげる女神でもあったとか。どんなに大物になっても、弱い立場からの目線を忘れず、同じ立場に立ってあげていたのでしょう」(芸能プロデューサーの野島茂朗氏)
ある映画関係者はこう振り返る。
「ロケ地までマネジャーも伴わずにおひとりでいらっしゃる。しかも、新幹線のグリーン車のチケットを送ったのに、それを普通車に買い直して。衣装も自分で持参されるなど、とにかく気を使われたり、余計なお金がかかるのを嫌う方でした。その一方で低予算映画でも知り合いならほぼノーギャラで出演することも。また、『祝儀、不祝儀2000円』といって結婚式でもお葬式でも金額は一律。ケチにも見えますが、見えを張ることなく、独自の価値観で生きた方でした」
日本の芸能界を牽引してきた希代の大女優がまたひとり、この世を去った。