渥美清<前編>“飴屋横丁”で働き身につけた寅さんの売り口上
松倉さんが渥美を初めて見たのは、高校を卒業して、劇場経営する父親を手伝い始めたころだった。
「四角いごつごつとした顔に刃物のように細い目が印象的でした。イケメンとはいえないけれど、声はやたらいい。テキ屋ふうの語りをして、頭がいいからアドリブもすごい。客からのヤジにも動じないし、切り返しがうまくて客席を沸かせるんだ」
当時の浅草フランス座は、座付きの作家が10日のスパンで出し物を変えていたが、台本が間に合わないこともあった。役者は台本を覚えられず、プロンプター役の人間が舞台袖からセリフを伝えることもザラだった。そんなときも渥美は指示を無視して、アドリブ対応していたほどだ。
「客のイジリも最高だったね。当時は舞台の半分がストリップで、残り半分を芝居で構成していたから、芝居はどうでもいいって客は多かった。でも、彼はプライドがあったからしゃくに障るって、ストリップが終わって弁当広げる客を見ていじって、それがウケたり。ものまねもできるし、あんな役者はいないね」
映画の寅さんは、下町育ちのテキ屋で風来坊だったが、松倉さんは「地で行ってたね」と笑う。