クラシック長年封印 原田悠里さん挑戦決意にカラスの名曲
いつの日か演歌の品格を身につけられたら
ちなみにひばりさんが亡くなったのが52歳、カラス53歳。2人とも時代を背負わされて、何かに遣わされたんじゃないかとしか思えません。
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歌手になることが夢でしたが、大学に入ってからはクラシックに明け暮れました。鹿児島や九州のコンクールで「オペラのアリア」を歌う。クラシックをやっている人には名誉なことだけど、私はそんなにうれしくなかった。
父には「横浜でもう少し勉強がしたい」と嘘を言って小学校の先生をやり、北島先生に歌手にしていただき、82年にデビュー、ミリオンセラーになった「木曽路の女」の発売が85年です。
作曲は伊藤雪彦先生です。それまでは大きな声で小器用な歌い方をしていたけど、先生に「演歌を歌うなら、藤純子さんが鶴田浩二に抱かれながら死ぬ時の声の出し方、アアゥという声を聴きなさい」とアドバイスされました。クラシックではタブーだった息をまぜて声にし、地声で歌うことも教えていただいた。それが私にとっての転機になりました。
歌手になって今年で38年目。30年間はそれまでとは逆にクラシックを封印しました。でも、ひばりさんとカラスは大衆をつかむ音楽でつながっている。そろそろカラスをやってもいいかな。原田悠里を応援してくださる人のために新しいことにチャレンジしてもいいんじゃないかと思うようになりました。
それからはクラシックも取り入れるようになり、今年は「歌語の浪朗唱」で歌謡浪曲もオペラも取り入れた「蝶々夫人」を思い切ってやってみました。
よく演歌は古くさい、なぜクラシックから演歌になったのといわれることがあります。それだけにいつの日か、北島先生のように演歌の品格を身につけることができたらと思っています。
(聞き手=峯田淳/日刊ゲンダイ)
▽3月15日には「原田悠里ディナーショー」(ホテル雅叙園東京の2階・舞扇)