進撃の巨人がコロナ禍に完結した意味 絶望を100%描き切る
「鬼滅の刃」「呪術廻戦」など、最近は残酷さを伴う作品が国民的な人気を博すようになったが、その大筋を作ったのは「進撃の巨人」だろう。
これまでも「寄生獣」などの作品も人気を得ていたが、どちらかというとニッチな層に人気を博しているというイメージだった。
「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」にももちろん残酷なシーンさや絶望感もあるが、それはあくまで「希望」に行きつくまでのファクターであると感じる。
希望と絶望は対極にあるという見せ方が主流だった中で、純度100%の絶望を真正面から描き切る「進撃の巨人」が登場し、国民的な人気を得たのには正直とても驚いた。
■未知のウイルスによって一変した今の世界
作中に描かれる巨人は、未知だからこそ、不気味で怖かった。しかし巨人の正体が実は主人公と同じ人間で、巨人が生まれた理由も争いもすべて“人間”が作り出していると知った時、その前提が一気に覆った。
それを知らないうちは、巨人は忌むべき、憎むべき存在と思っていたが、そんな風に思ってしまっていること自体が、この作品に登場する"争い"の火種そのものなのだと実感させられた。未知だからこそ、何の疑問もなく"憎んだり""恨んだり"できていたのだと、そういう愚かさをこの作品によって教えられた。