異論に不慣れがゆえに過剰に防衛し炎上…という茂木健一郎のケースは珍しくない
ひとしきり炎上した後の9月12日、茂木はレスポンスを投稿する。「日本の『炎上』はおうおうにして『世間』対その人になる」「炎上慣れしていない人はびっくりして自分の異見を言うのをやめてしまう」と、正論でいさめているかのようだ。
だが、日本に限らずアジアでも欧米でも、「世間対その人」になる炎上が基本形だ。ある人(企業、団体など)が多勢の世間から袋叩きに遭うからこそ炎上なのだ。
また、ネットや現実世界に異見がないわけではなく、むしろ老若男女問わず、意見や異見を表明する人は確実に増えている。だが、あらかじめ検索したり友人知人の紹介で参加するという手順を踏んでいるため、コミュニティーがタコツボ化しており水を差す異見は単に届いていなかったり、集団の安寧を守るべく軽視されている。異なる見解に不慣れがゆえに、びっくりして過剰に防衛し炎上というケースは珍しくない。
茂木の「異見」はしばしばつじつまが合わないと批判される。今回の炎上でも、SMAPが解散すると公表した際に「表現者としてのポテンシャルは、決して、海外の著名アーティストに劣って」いないと賛辞を送った投稿が発掘され物議を醸した。
海外の著名アーティストに劣らない学芸会的価値とは何ぞや、と問われてしまうと、脳機能をフル稼働させてもなかなか整わない。 (つづく)