R&B愛好者の底力を感じた3日間。「いま本当にパリでは五輪なんてやっているのか?」という疑問が…
28年前の「その日」、ぼくは当時の定宿だったロサンゼルス・サンタモニカのホテルのひなびたバーにいた。カウンターにもたれかかり、天井から吊るされたテレビの小さな画面に見入っていた。映し出されるのはもちろん開会式。ジャム&ルイスの新曲が聴けるという情報を、ぼくは現地の音楽関係者から聞いて知った。まだインターネットの個人利用が一般的ではない時代、口コミこそが最速の情報収集源だった。
喉は渇いてばかり。薄いビールを何杯かおかわりして、居合わせた宿泊客たちと乾杯を何度かくり返した。自分と同じ肌の色をした客はほかにはいない。ついに始まったね、アトランタ・オリンピック。ぼくがそうつぶやくと、最も濃い色の肌を持った男性が言った。
「アトランタ・オリンピックと呼ぶのは間違いじゃないけど、文字通りの意味だけなら十分とはいえない。これはダーティ・サウス(イケてる南部の)オリンピック、そう、ブラック・オリンピックなんだ」
それまで米国で夏季五輪は3回行われたが、南部での開催は今回のジョージア州アトランタが初めて。それは初めての「黒人五輪」も意味するというのが彼の言い分だ。ときの大統領は民主党のビル・クリントン。76年の大統領選では、元ジョージア州知事ジミー・カーターの選挙スタッフだった、ジャズサックスの得意な男だった。このハンサムガイは、翌97年にセクハラ訴訟を起こされ、さらにその翌年には弾劾裁判にまでかけられる……余談が過ぎたようだ。とにかく今になって思うのは、あの夏ぼくは五輪開催にさほど抵抗を覚えていなかったということだ。