理想の去り際は「惜しまれつつ、されど潔く」
外来で患者さんにお会いするたびに、「執刀医として、この患者さんがいつ亡くなっても思い残すことはない」といった覚悟はどうしてもできません。また3カ月後に来てくれれば、またお会いできればいいなという思いがあるのです。
そうした患者さんと多く接していると、自分自身の去り際についても考えさせられます。
私には妻、長男、長女の家族がいますが、その家族に見守られながら安らかに息を引き取る最期は想像していません。自分勝手かもしれませんが、ひっそりとしかし厳かに逝きたいのです。自分の死が家族の負担になってしまうかもしれないという思いからではありません。自分の生きざまとしてそう潔くありたいのです。
■外来で患者さんの顔をみかけなくなったなと思っていると…
潔い去り際といえば、今年1月に70歳の若さで亡くなった星野仙一さんが頭に浮かびます。プロ野球の投手、監督として数々の実績を残された星野さんは、16年の7月に膵臓がんが見つかったそうです。しかし、病状は家族と副会長を務めていた楽天の球団幹部にしか知らされておらず、訃報を知らされた親しい関係者や友人は耳を疑ったといいます。