シンガーソングライター山口岩男さん語るうつ病からの脱出…薬を1日24錠、10年で体にダメージが
山口岩男さん(シンガーソングライター/59歳)=パニック障害・うつ病
2001年から12年間、向精神薬を服用し続けた自分の結論は、「うつから脱出するには、くよくよせず、早寝早起きして、うまいものを食べ、酒は飲まずに体動かせ」です。講演で最初にそれを言っても全然納得してもらえませんけど、「病気とは何か?」「薬が体に及ぼす影響」などを突き詰めたら、そこにたどり着きました。
自分のうつ病は、2001年9月に34歳の弟が突然他界したことに端を発します。持病もなく、酒もたばこもやらなかった弟ですが、彼の妻の話によると夜中に咳き込んで心臓が止まったとのことでした。いわゆる「突然死」だったようです。
明け方4時、その知らせを聞いたとき、自分は仕事でハワイにいました。
日本のパッケージツアーでウクレレのレッスンや演奏会などをするためです。オーシャンビューの眺めのいい部屋で聞いた弟の訃報……。突然すぎるのと、目の前に広がる景色とのギャップに頭が混乱しました。でも、仕事があったので、すぐには帰れませんでした。
症状が出始めたのは、それから1カ月後くらいです。世の中には突然死という現実もあるんだと納得した頃、買い物に行ったスーパーで突然、胸が締め付けられたのです。喉の奥から何かがせり上がってくるような、圧迫されるような感覚に、その後、何度も襲われました。
ネットでその症状を検索してみると「パニック障害」がヒットしたので、病院を調べて心療内科を受診しました。担当医には、弟の突然の他界に加え、抱えていた仕事や生活の悩みなどを話しました。すると、「弟さんのイメージが残っていて、いつか自分も突然、心臓が止まるんじゃないかと思って、そういった症状が起こるのでしょう」と言われ、「うつ病でもあるね」と精神安定剤と睡眠導入剤を処方されました。
その後、12年の間に離婚やら引っ越しやらがあって、トータル9軒の心療内科を受診し、多いときには1日に24錠(毎食後8錠)もの薬を飲んでいました。薬を飲んでも良くならないのに、当時の自分は完全に他力本願で薬に頼り切っていたのです。
薬を飲み始めて10年を過ぎると、体へのダメージが蓄積して弊害が表れました。たとえば、演奏中に下を向くとよだれが垂れてしまうとか、蛇口をちゃんと閉められないとか。極めつきは車の運転ミスです。車庫入れの失敗や、電柱への接触など凡ミスが5回もあって、明らかに運動機能の低下を感じました。さらには、冬の寒さで布団から出られなくなり、常に体がだるく、ひきこもり状態になりました。
そのあたりから自分でも向精神薬のことを調べ始め、長期服用することの副作用を知るのです。
■ビーガン食を4年実践
転機になったのは、今の妻(元看護師)が向精神薬の害を訴えていた医師の講演会に引きずり出してくれたことです。その熱血講演会で「薬を飲み続けると、こういうことがあるのか」と深く納得して、一気に薬をやめました。本来、大量に飲んでいた向精神薬を一気にやめると離脱症状で錯乱する可能性があるので、徐々に減薬しなければいけないのですが、性格上、一気じゃなければやめられない気がして、49歳で突然すべての薬をやめました。と同時に、自然食にこだわるようになりました。
案の定、半年から1年ぐらいはイライラしたり、脂汗をかいたり、不安で叫び出しそうになったこともありました。でも、だんだん体の調子が良くなったのです。
丸4年間、ビーガン(完全菜食主義者)の食事を実践しました。薬で太ってしまった体が痩せだして、茅ケ崎に引っ越してサーフィンも始めました(笑)。
「病気」とは突き詰めると感染症か自己免疫疾患だと学びました。その点、うつは「状態」であって「病気」ではない。原因は必ず自分の中にあり、それを解決しない限り、いくら薬を飲んでも治らないのです。
精神安定剤は、神経を緩めて緊張を取り除くだけ。居酒屋で酔っぱらって「大丈夫だぁ、何とかなる」と思っても、酔いがさめれば現実に引き戻されてしまうのと同じです。その上、薬は化学的な人工物です。何年も飲み続ければ肝臓はだんだん分解しきれなくなって体全体がだるくなり、うつが進むという悪循環をもたらします。
まず、口から入れるものをなるべく自然に近いものに変えること。すると体調が改善されていくので、気持ちが上向きになっていきます。その上で考えたいのが、あらゆる製品に仕様があるように、人にも仕様があるということ。自力でなんとかできることと、どうにもならないことを分けて考えることが大事です。
振り返ると、自分はどうにもならないことをなんとかしなくちゃいけないと思っていたんだなぁと思います。うつ状態は今でもありますけど、自然現象だと思うようになりました。
(聞き手=松永詠美子)
▽山口岩男(やまぐち・いわお) 1963年、山形県生まれ。1989年、シンガーソングライターとしてデビュー。ギタリストとしても人気アーティストのライブやレコーディングに多数参加。現在は山形県に住み、「山形弁シンガー」として地元では広く知られている。著書に「『うつ病』が僕のアイデンティティだった-薬物依存というドロ沼からの生還」(ユサブル)がある。
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