歌手のミーウェルさん20代後半で顎変形症の手術を決断した理由
ミーウェルさん(作曲家、歌手/40歳)=顎変形症
「顎、曲がってるけど大丈夫?」
職場の上司にそう言われたことがきっかけで、本気で顎の治療と向き合う気持ちになりました。当時20代前半だったので、かなり傷つきましたけれど、今となっては感謝もしています。
噛み合わせが歪んでいることに気づいたのは小学4年生のときでした。下顎が右に1センチ以上ズレて受け口になっていたのです。そもそもは歯の生え変わり時期に犬歯の隣の歯が1本だけ内向きに曲がって生えていたことが原因のようで、そのせいで噛み合わせがズレていました。
それに気づいた母が近所の歯科医院に連れて行ってくれたのですが、矯正歯科ではなかったのでそこでは治療ができず、歯列矯正をするには100万円ほどかかると言われました。幸い日常生活に支障はなく、ほかの歯はキレイだったことと、私自身が当時あまり深刻に考えておらず歯列矯正はしませんでした。しかしそのまま成長期を迎えて、背が伸びると同時に顎も左右非対称に伸びていきました。
異変が起こったのは専門学生の頃です。顎や首などに痛みが出てきたのです。病院に行くと、「顎変形症」によって「顎関節症」を併発していることが判明しました。
顎変形症は、歯の矯正だけでは治すことができない骨格のアンバランスによる不正咬合で、顎関節症は、痛みや関節音など顎関節症状の総称です。先生から「治すには顎の骨を切るしかない」と言われ、最低でも3カ月の入院が必要である上、術前矯正と術後矯正が必須で、全部含めると早くても3年かかるとのことでした。
でも、そのときすでに就職が決まっていたので入社1年目に3カ月も休めないと思い、「入院しないで治せる方法はありませんか?」と先生に食い下がりました。すると「手術しないと根本解決はしないが、内向きに生えている歯を矯正すると不調は軽減するかも」と言われ、矯正を決意しました。2~3年かけて歯並びは整いました。痛みは少しだけ良くなりましたが、やはり顎は曲がったままでした。
ある日、通勤電車の窓に写った自分のマスクが斜めになっていることに気づきました。直して家に着いて鏡を見ると、また斜めに……。「やっぱりマスクがこんなになるほど顎が曲がっているんだ」と気持ちがへこんだところに、冒頭の上司の言葉があったのです。
その時、上司にはおどけて「もともとですよ、もう」とヘラヘラ笑いましたが、そのあとトイレに駆け込んでわんわん泣きました。
さらに別の日、同僚からも顎の歪みについていじられ、とても悲しい思いをしました。悪気はなかったとしても、彼らの言葉にひどくショックを受けました。
ただ、それが私を真剣に顎の治療に向き合わせてくれたと今では思っています。
■術後は口の中が針金やゴムだらけだった
3カ月も入院する手術は選択肢から外していたので、次なる手段は美容整形外科だと狙いを定めました。でも相談しに行くと、上下の顎の骨を切れる美容外科医は日本にはなかなかいないようで、一軒は断られ、もう一軒は300万円かかる上にほとんどの歯を差し歯にして整えると言われました。そんなお金はないし根本的にも治らないのかと落胆し、「一生曲がった顎で生きていくしかないんだ」とくじけてしまいました。
「でもやっぱり治したい!」と思ったのは、仕事を辞め、趣味だった音楽でプロデビューしてからです。
ある日、カメラマンさんに「君、ちょっと顎がズレてるんだね。角度を変えて撮ってみようか」と気を使ってもらったのが申し訳ないと同時にとても恥ずかしく、毎日気にならないフリをして自分をごまかすのはもうやめたいと心から思いました。
そして訪ねたのが、矯正でお世話になった歯科医院でした。6~7年ぶりにお話を聞いてみると、先生の知り合いの「骨切りのエキスパート」が海外から自宅近くの大学病院に戻ってきているというではありませんか。
そのエキスパートの先生に診ていただくと、入院3カ月と言われていた手術が10日~2週間ほどに短縮していると知り驚きました。そこで手術を決意し、術前矯正の4カ月間を経て、2011年11月に顎の上下の骨を切る手術をしました。9時間に及ぶ手術で、術後はたくさんの管がつながれてICUに入りました。口の中は針金やゴムだらけ。顎の骨はボルトで止まっている状態で、頬が風船のように腫れて口はまともに開きませんでしたが、「ついに今までの悩みから解放されたんだ」という喜びで全く苦ではありませんでした。
2週間ほどの入院生活の後は、術後矯正が7カ月間続きました。上下の歯はゴムを掛けて固定しなければいけないので食事のたびに着け外ししました。顎のボルトを取る手術をしたのは1年半後の2013年5月です。おかげさまで顎の痛みはなくなり、顔も真っすぐになって本当にうれしかった。
保険適用だったことにも感謝しました。単に顎が曲がっているだけでは適用にならず、痛みや噛み合わせなどが関係してくると適用になるという微妙なものなのです。保険が利くか保険外になるかも変わりますし、数年で技術や医療は進歩するので、諦めずにセカンド、サードオピニオンを受けたほうがいいと思いました。
病気から学んだことは、何げない一言が良くも悪くも人を揺さぶるということ。「悪気がなくても、自分は絶対に人の見た目などの変えられない部分のことを言わない」と心に決めました。
(聞き手=松永詠美子)
▽1983年、神奈川県出身。幼少期から歌やダンスを習いミュージカル子役として活動。PCによる作編曲を行い、2009年に作曲家兼歌手デビューを果たす。高音オペラ歌唱が魅力。近年はゲーム音楽の歌唱のほか、ミュージカル劇やアーティストへの楽曲提供も行う。
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