サンヨー製菓 池田光隆社長(1)駄菓子でお馴染み「モロッコヨーグル」秘話 8坪に満たない長屋で誕生
しかし、モロッコヨーグルが生まれる前は、何をやってもヒット商品にはつながらない苦しい日々が続いた。
「フィンガーチョコってご存じですか? あれのチョコがないビスケットの棒を焼き菓子として一斗缶に入れて、それを朝から晩まで作ってました。でも、1日の生産量が2~3缶程度であったため、儲からへんし、数はできひんしっていうね」
そこで、サンヨー製菓が出合ったのが、ウイスキーボンボン。
「当時、結構いろいろな企業さんが作ってて、うちでもやろうってなって始めたのですが、これがね、めちゃくちゃ不良品が出る商品だったんです。当時ですから、手作業で朝から晩まで家族総出で作るんですけれど、1万2000本作って、2000本は不良品。その上、チョコレート菓子は、夏場は製造・出荷が難しかったんです」
そこで、サンヨー製菓の運命を決める、“ヨーグル”との出合いがあったのだった。
「モロッコヨーグルが生まれたのは、祖父で創業者の信義の時代。祖父が、子どもが簡単に食べられるものってなんやろうって思って、もなかにバターを挟んで簡単に食べられるものを開発してたんです。でも、もなかが結構コストがかかることがわかり、当時、5円やったかな。5円で発売できるものを考えていたのですが、これは無理やってなって。そこで、生まれたのが“ヨーグル”だったのです」 (つづく)
(ジャーナリスト・中西美穂)